透明な彗星
お別れしたことは出会ったことと繋がってる
きっと、その人が、世の中から、誰の前からも、消えてしまうこと、
それよりも、私の中だけから、いなくなって消えてしまうこと、
私の前だけから消えること
それの方がどんなに悲しいだろうか
そんな日は来ないかも知れない、
だけど来ない、とは言い切れなくて、
明日突然起きたっておかしくない
忘れられても構わない、忘れないから、
そして冒頭に書いた歌詞
出会わない方が良かった出会いなどない、と藤原基央は言ったらしい
アルバム「RAY」についての考察を姉妹でしていく内に、彼の中に深い深い喪失があるね、と言う話になった
割とインタヴューで色々話してくれる人だけど、私たちが全然知らないことがあるね
深い深い喪失がなければ、あんな歌詞は書けないよね、今考えてみれば
なんでこんな今更気付いたの
遅過ぎるよ
大事なことはいつも目に見えないところにあるよ、だから大事なんだよ
想像はあくまでも想像の域を出ないし
「supernova」がリリースされた日から、こんなことだけはないように、こう言う後悔だけはしたくない、しないように、しませんように、気を付けよう、毎日思って暮らした
同じことが起きた
数年経って、喚起を促していたのではなかったと、分かった
これが事実だ
誰かをうしなう事実、それはこう言うことだよって、藤原基央は、事実を歌っていただけなのでした
だからって、今から走り出して行って、思いの丈を伝えるなんて、出来るわけもない、
困らせるだけだし、私だってそんなこと出来ない、しない
出会わなかったら、お別れすることは、ない
ただの事実です、当たり前の事実
1足す1は2、よりも疑う余地がない事実だ、そうでしょう
だから一生懸命生きよう、伝えたいことを、伝えられる内に伝えよう
そんなに僕らは単純に生きられない
一生懸命生きられない、伝えたいことはいつも誰にも伝えられない、
人が怖くて苦手で、同じくらい一人で居るのも怖くて苦手だ
だから、こうやっていつまでも文を書きます
これが唯一出来ることだから
したいことだから
ここになら伝えたいことを少しは書けるからです
誰が読んでいるか分からない、不特定多数の人が目にする可能性、これが持つリスクを上手くメリットに変える
ブログなんて、自分のためだけに書くものだからね、少なくとも私は
それに、伝えたいこと全部伝えられたら、あまりにも味気ない、粋じゃないでしょ?
深読みや勘ぐり、想像、そんなものをいつもしてる
言葉の真意を探してしまう
優しさの真似事を、本当の優しさかどうか疑うのは、失礼だと分かっても、してる
私、日能研に通って四角い頭を丸くした方がいいかな、