センチメンタル夢遊病

音楽とか、たまに映画とか。思ったことや日記。別のアカウントでもう1個別のはてなブログを書いています。

チルドレン、彼らと私たちの倫理観と常識と正義

31日はドームに行くのに、多分、起きるのが精一杯。
起きれるかも分からん。

何も持って行かれない。
無理。
ごめんなさい。
まあ謝るのもおかしな話だよねってのが本音。
親切と優しさは心の底から有難く受け取っているよ。
やりたいことではなくて、私の中では義務なんです、ごめんね。
私には、ゆ都には五輪を招致できません。



色々な作品で、主人公(小学生とかくらい)の家庭環境などが複雑である作品がありますね。
同じクラスに、いじめっこがいたりする。少し乱暴だったり、何かを壊したり。
作品を見ていくうちに、実はそのいじめっこの家庭環境も複雑であることが客観的に
描写される。
「ああ、そうか。仕方ないのかもなあ」と思っていた。これまでは。
どうして?じゃあどうして主人公はそういう行動に出ないの?
彼や彼女は誰もいじめないし、何も壊さない。
どうして?じゃあいじめっこがそうなるのは「仕方ない」と何となく私の中で
許していたのはなんだったのですか。仕方ないってなんですか。許す、とはなんですか。


佐世保の加害者の15歳の女の子は、昨年10月に母親を亡くし4月に父親が再婚。
事件当時彼女は一人暮らしをしていた。
「一回、解体してみたかった、人間も」
小さいころからよく生き物を解体していたそうです。
聞いた話です、違ったらごめんなさい。

自分に子供が生まれたとします。
その子がカブトムシやカマキリを解体したり、トンボの羽をむしったとします。(のべんばの「今日も生きたね」みたいだね)
昆虫に興味があるのだろうか。子供らしい、単純な興味からだろうか。
それとも、すでに精神異常だろうか?
親である自分は、分からないかもしれない。明らかに、解体した後の言動に常軌を逸したものを感じれば、
何かするでしょう。でも、どうやって、止めますか?
何と言う?生き物を殺してはいけないよ、解体してはいけないよ、と言うのか?
それはなんで?悪いことだから?

MO'SOME TONEBENDERのロッキンルーラを思い出した。

でも、最初からネズミや猫や犬を解体していたら、その時点で、常軌を逸している、と私は思うだろう。
カマキリとカブトムシと、犬猫ネズミの違いは何?

小学一年生くらいの時、蟻が嫌いでした。
足で踏みつぶして殺してしまったこともありました。
怖かったからです。黒い小さいのが動いているのが気持ち悪くて怖かった。

と、同時に、幼稚園の年長頃かな、蝶の鱗粉がとても好きで、よく捕まえて、
蝶の羽を折りたたんだ状態で彼らを持って、きれいな色の羽を眺めているのが
好きでした。ある時、長時間指で持っていたら、蝶は死んでしまった。
殺した、と思った。
穴を掘って埋めて、枝を土にさしお墓を作りました。
讃美歌の楽譜を取り出し、ピアノで演奏し、リビングのドアに、「今お葬式中です」
と書いた紙を貼りました。
蝶のために、自分なりのお葬式をしました。


いや、ある日朝起きたら、すずめが烏にやれてた、って母から聞いたときにそんな
お葬式をしたかも。蝶の時じゃないかも。分からなくなってしまった。

とにかく、蟻を殺したことに対して償いの意は起きなかったのに、蝶は、自分が殺して、
悪いことをした、その、善悪で、「悪」の行為、をしたと思いました。
人を殺してはいけないように蝶は殺してはいけなかった。
蟻は何で踏みつぶした?なぜ殺したという概念がなかった?


サイコパスの話を聞いた。
殺めるという点ではないけど、私、若干、ある点においては、もしかしたら
サイコパスかも、そこ欠落しているかも、と思って歯を磨きながら
怖かったです。

確か、海とか船は、フランス語だと女性名詞ですね。
私は、生き物を彼ら、と言います。
彼ら彼女ら、と書いてあったら、ああ、と思いますが、
教科書に、「彼女たちは」としか書いていなかったら驚くと思う。
「彼らは」と書いてあったら多分驚かない。

目に見えている、自分の目に見えている事実は、事実ではあるけれど、
結局、自分と言うフィルターを通してしか自分は世界や世の中を見ることはできません。
とても怖いです。