センチメンタル夢遊病

音楽とか、たまに映画とか。思ったことや日記。別のアカウントでもう1個別のはてなブログを書いています。

コピーアンドペースト

人が、いや、知人とかが、私が誰か知った上でこのブログを読む場合もあり、って言うブログに下の記事書いたけど。削除。こっちに貼っとく。




さっき久々にRADWIMPSの「×と○と罪と」を聴いていた。


まさに「死なない程度に賢くて 生き延びれぬ程度にバカな」僕ら、て歌詞、ほんとうにそうだよね、って話をして、ほんとうにそう思う。

いつだって、何事も生半可が一番困る、迷惑、残酷。

このアルバム、「凄い」しか言えない。恐ろしい。野田洋次郎、良い意味で頭おかしい。天才ってことか。すげえ。すごいアルバム。

音楽評論家のディスクレヴューって、「すごい」ものが何故すごくて、どうすごいのかってのを沢山の言葉を使って語彙力を発揮して、もしくは小説の文だったり偉人の名言を引用し、書いている。知恵がないと出来ない。あんな文書けるようになりたい。「すごい」の解説を書きたい。なにゆえ凄いのかどうすごいのか。

あまりディスクレヴューだったり、Amazonのレヴューは私は参考にしないタイプ。その、何かしら表現されたものはね。本、映画、小説等、芸術の類は。


いつもいつも色々なことをゴチャゴチャ考えていて、くだらないことを考えているな、と思うけれど、自分にはくだらなくないから考え続けていて、最近は専ら思考しない時間と言うのを自分の意思でつくれたらどんなに楽だろうか、と思う。

思考し続けるのめんどくさい。そしてこれは(私の場合)非生産的だし、且つ不毛な行為。


全部自分で選んできたのだと、素直にそう思うのに、その責任が自分で取れない。色々なことが、それこそ無重力空間にいるように、宙に浮いている。ふわふわうようよ浮いている。誰かが代わりに責任を取っていてくれる、いや、取らせてしまっていることは勿論たくさんある。だけど原因とか考えてもしかたのないもの、特に今現在誰かに被害を与えていないもの、がいっぱいいっぱい浮いていて、無重力空間に浮いているようだから、避けないと私の頭に衝突する。でもいっぱい浮いているから、何かしらに衝突してしまう。

要は考えても仕方のないことを考え続けている。どうもやめられない。


「心の中で嬉しいことや喜びを感じる部分と、傷付く部分は多分同じ場所だよ、」って好きなミュージシャンが言ってた。ほんとそうだね。

自由でいたかったら自ずと孤独になってるのと一緒ね。

だから生半可が一番めんどくさいんだって言っただろうが。

個性は必要、でも皆が当たり前に持ってるものを、理由がなんであれ持っていないのは個性でもなんでもない、自分が「劣」である証。

だからって?今から何かしようなんて向上心もないし、そもそも何を間違えたんだか、どうしたら良かったんだか。今やっても取り返しがつかない。死んだ人が絶対生き返らないレベルで取り返しがつかない。それに、ほんとうに、何をしたら普通に戻るのだろうか?そもそも間違う前は普通だったのか?いや、じゃあもっと掘り下げると、間違ったのか?

「普通」ってなんだろうね。色々なことを話せば話すほど自分の醜い部分が露呈していくようだ。

一体何やってたんだかね。あーめんどくさい。中二病だ、中二病。取り敢えずゴチャゴチャが始まったら自分は中二病、て思っとくわ。みっともないったらありゃしない。